万世橋駅訪問記
昨日は泊まりの仕事が終わった後、色々と遠征してきました。
その一つが旧万世橋駅の公開ツアー参加でした。かなり思いつきだったんで、独りで行ってきた訳で。(なかさん、Y@茶処さん、ごめんなさい)
昨日はウィークデーだからそんなに混んでないだろうなぁ、と思いきや、10:30の館内は結構大盛況。ツアー受付で一番早い空きツアーを聞くと12:30に一人分空きがあるとの事で早速予約。でも、2時間待ちとはちと驚き。
でも、館内を改めて見て歩くとそれなりに面白く(創建当時の秋葉原付近の地図をしげしげと見たり、地下鉄日比谷線の3000系車輌の模型に感動したり)、なんだかんだで時間になりました。
10分前の集合に集まり、ちょっとした注意点を聞きながら館内を横断してツアー入り口へ。入り口は現在鉄道模型のお蔵だし展示を行っている売店向かって左の奥。入った左手には役員室やボランティア控え室なんかがあって利用しているスペースもあるんだなぁ、と。右手のドアをくぐるとそこは狭い通路。右手は古い木造のガラス窓付き事務所?昔の駅舎なのかも。そして左手は煉瓦の壁。なんと、創建当時の構造物だそうで。東京駅を設計した辰野博士の作だそうで、東京駅の習作とも言われた建物の一部はそのまま今に残っている訳です(駅自体は3代目の時の昭和18年に廃止、什器類は新設の新子安駅へ流用されたと言われます)。
中に入ると大きな吹き抜けに。上は中央線の梁が。そう、交通博物館は中央線万世橋駅に併設された博物館なのです。(昭和11年竣工)そして、幸運にも空襲による被害を受けなかった事もあって竣工当時の建物を未だに使っている事も創建当時の遺構を残す大きな原因になったと思われます。時たま列車の通過音がするのも臨場感を高めます。ここで当時を振り返る映像を5分ほど見ます。それから写真タイム(笑)
そこを出て更に奥へ。しばらく歩くと突き当たって右上へ上る階段が。そこを上っていくとちょっと雰囲気出てきます(笑)「まんせいばし」の看板も当時同様にホーローで復元したそうで。(当時のものは廃止時に博物館が収蔵品として保管しています)そして、ホーム自体には危険防止の為上がれませんが、張り出し窓を設置してあってそこからホームを見渡せます(ちょっと狭いですが)。
こんな感じの現在のホームです。何も無い状況ですが、元々はホーム二本のターミナル駅だったそうで。それにしては階段に続く通路が見あたらなかったんですが、階段の途中で通路をまたぐ所がありましたのでもしかするとそこがもう一本あったホームへの通路なのかも知れません。(しかし、神田と新お茶の間にこんなのあったなんて全然気付いてなかったですね・・・・・)
これは帰りに撮った煉瓦壁と反対側の事務所?。かなり古い感じで、3代目駅の名残かも。 なお、建物の中は前日までの雨が浸みて翌日になって漏水してくる状況でした(^_^;)
内部の一部木造部分は当時の再現っぽく作っているそうですが、コンクリ&石造部分は当時のまま、とガイドの方は言っていました。
そんなこんなでツアー終了。20分と言われていましたが、出て時計を見るとなんと2,3分残ってました。そんなに時間かからないもんだったんだなぁと驚き。(ちなみに、追い出された訳ではなく、自分から出て気が付いた)
しかし、目の前の須田町交差点が出来てからすたれた、という話ですが、そんなに違うもんだったのかなと。思えば秋葉原駅が山手、総武線のターミナル駅になってしまってから万世橋駅の役目が終わってしまった、そんな気がしますね。駅前の広瀬中佐の像は戦後の昭和22年に撤去されたそうなんですが、是非ともどこかの駅で復活希望(笑)まぁ、今の交通博物館自体が今年5月で廃館になり、さいたま市に「鉄道博物館」として先祖帰りするそうなんですが、跡地の利用計画は未だ白紙との話ですので、どうせならこの建物を文化財として保存しながら利用して欲しいものです(その時にどうか広瀬中佐も・・・・)。
そう言えば、今度出来るのは「鉄道博物館」。鉄道以外の収蔵品って一体どうなるんでしょうか・・・・・・・? (((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブル
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コメント
行ってこられたんですか~
昭和初期がそのまま保存されているようですね。
>駅前の広瀬中佐の像
数ヶ月前ですが家族で浅草にある墓参りに行き、帰りに肉の万世で昼食になったんですが、食事が終わり帰りの車中で祖母に「肉の万世に広瀬中佐の油絵があったよ。昔、軍歌があったでしょ。杉野はいずこ♪って」といったら、なんといきなり歌いだしたんです!60年以上聞く機会が無かったかもしれないのに・・・。祖母は戦時中まで百貨店に勤めていたそうで、レコード売り場にもいたそうです。そこでレコードをかけて聞いていたのだと思います。色々と聞いてみると当時の歌謡曲などかなり詳しいです。戦争末期の比島決戦の歌「いざこいニミッツマッカーサー♪」などは、自分がそんな歌があるとは知らなかった頃(10年以上前)に聞かされ、その後見た映画「必勝歌」の中で少国民やおやじさんが歌っているシーンがあり、それを見た時は驚きました。
後にコロンビアのCDセットを買ってその題名が判明した次第です。
その祖母ですけど東京下町っ子で、戦時中には空襲も経験しており(家は全焼)、戦争は大嫌いです。(まあ戦争が好きなんていう人間なんて居ないでしょうけど)
浜辺で貝を採っているとき、上空に米軍の艦載機が来たとか(その時に退避せず浜番に怒られたそうです)、撃墜されて落ちていくB29を見たとか、貴重な体験談もあります。
そんな祖母ですがいまだ健在です。
一緒に万世橋に行こうかな?
投稿: なか | 2006/03/24 18:00
>なかさん
行ってあげて下さい。同時にすぐそばに「肉の万世」もありますし(w 記念展示の中に縮小版の広瀬中佐像もありましたよ。
そう言えば、川岸の煉瓦作りの建物部分(中央線)は縁が妙に凝っていて気になっていたんですが、そんなに昔の物だったか、と気づき昨日写真撮ってきましたよ。
投稿: みほり | 2006/03/24 20:39
交通博物館、5月に廃館ですか。
小学校3年の時に行ったきりなので、廃館前に行かなければ。
投稿: toshi | 2006/03/24 21:09
>> 駅前の広瀬中佐の像は戦後の昭和22年に撤去されたそうなんですが、
広瀬中佐と杉野兵曹長の銅像の行方は、他の銅像と同様、戦時中に供出された
のが定説になっていますが、昭和22年に撤去されたのは台座かも知れません。
当時の万世橋は映画「決戦の大空へ」 に出て来ました。
「決戦の大空へ」
出演 原節子/高田稔/小高まさる/黒川弥太郎
1943年・東宝・92分・モノクロ
監督 渡辺邦男
戦時中に公開され、土浦海軍航空隊の予科練の生活を描き「君も海軍に入隊して
明るい青春をしよう」と言う国策映画で、「若い血潮の予科練」の歌詞でお馴染み
の「若鷲の歌」は元々この映画の挿入歌だったのです。フロート付きの95中練が
出る等、当時の予科練の訓練内容が分り、当時の靖国神社、万世橋、東京駅等も
見れる貴重な映像記録です。映画は訓練生達が卒業して戦地に赴く所で終わります
が、現実の彼等の運命を思うと何とも言えない気持ちになります。
投稿: 赤とんぼワークス | 2006/03/24 21:38
露助に抑留されてたウチのじーさまが帰国してしばらくして、秋葉原近辺をばーさまと散策していたそうなんですが、「この近くに万世橋という駅があるからそこから電車に乗って帰ろう」といって長い間そのへんを探し回ったそうです。
その時は「ああ、この人シベリア呆けでワケわからんことを」とか思ったそうなんですが、あとで実際に駅があったと聞いて、申し訳なく思った、とかいっとりました。
交通博物館の話を聞いて、そんなことを思い出しました。
投稿: いで | 2006/03/25 00:19
いでさん>
万世橋付近は銀座線の旧万世橋とか中央線旧昌平橋とか廃止駅がたくさんあるんでそういう間違いが起きても不思議な所では無さそうですね。やっぱり東京って面白い街です。
赤とんぼさん>
広瀬中佐の像については戦時中の供出説と戦後の撤去説の2つが拮抗している様で、どうにも断定し辛い様です。あそこまで有名な像なら説が二分されるはずは無いと思うんですが・・・・不思議な像です。
投稿: みほり | 2006/04/01 09:01
Hello, I like to find out more about this subject. Thank you for writing this.
投稿: Audrey | 2014/01/22 09:05